2011年6月20日月曜日

ポーランド旅行:アウシュヴィッツ

ポーランド旅行最終日は、二度と繰り返してはいけない歴史的負の世界遺産、オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)とブジェジンカ(ビルケナウ:第2アウシュヴィッツ)へ。ガイドの方の説明を聞きながら広い敷地を歩いて見学します。
"Arbeit macht Frei (働けば自由になる)"

第2次世界大戦中アーリア人至上主義を掲げるナチス・ドイツによりユダヤ人、政治犯、同性愛者、身体障害者や精神障害者など、ここで犠牲になった人は28もの国籍だったと言われています。ナチス・ドイツ占領下の各地から強制連行されてきた人々は、ここで働ける者とそうでない者に選別され、女性・子どもなどはシャワーを浴びると言って即座にガス室に送られたそうです。登録もされず即時に殺された人々もおり、ここでの犠牲者の数は現在でも把握されておらず、150万人とも400万人とも言われています。高圧電流が流れていた鉄条網で自らの命を絶つことを選んだ人も少なくなかったようです。

博物館には強制連行された人々が当時身に付けていたかばん、メガネ、衣服、靴など身の回りの物が展示されていました。直視出来なかったのは女性の毛髪の山・・・。女性は強制収容所に到着するとすぐに髪を切られ、これらの髪はマットレスなどの織物などに使われたそうです。これら一つ一つのものが象徴する人々の命がここで奪われたと思うと言葉を失います。
飢えや伝染病と戦いながらの当時の強制労働や飢餓牢、立ち牢など、この収容所のシステムは想像を絶するものでした。ガス室では一度に32分で800人もの人が殺されていたと言われています。
靴の山

収容所内

ガス室:ここで何万もの人の命が奪われました・・・
 ヨーロッパの中心に位置すること、列車の便が良かったこと、広大な土地があり、近くに炭鉱などがあったことからこの地が選ばれたと言われています。

ビルケナウでは、粗末な作りのバラックに当時の衛生施設とベッドが残されていました。トイレも拷問の一種で、1日2回、しかも1回30秒~40秒だったそうです。













桁はずれな数の命や苦しみと向き合う重い半日でしたが、これらを直視し、この史実を忘れないように、そしてこの過ちを二度と繰り返さないように未来に伝えていくことが、今生きている私たちの使命だと改めて感じました。犠牲者の皆さまのご冥福を心より祈ります。

この石碑の裏に犠牲者の灰が埋められました

ビルケナウの施設内まで延びた列車の終着点

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