2012年5月6日日曜日

モンサンミッシェル (フランス旅行その5)

本日はいよいよモンサンミッシェルを見学します。島まではル・パサーと呼ばれるシャトルバスに乗ります。外側に木材のパネルが使われていて景観にも調和しています。
再びあの美しい姿が・・・。


島の中に入ると怪しげな日本語が沢山。朝早いので普段は観光客でごった返している通りも人がまばらです。浅草の仲見世通りのように両脇にはお土産物屋さんが沢山並んでいます。



ここモンサンミッシェルは、708年に聖堂が建設されるまでは墓場の山(Mont Tomb)と呼ばれる海抜80メートルの岩山でした。モンサンミッシェル建立の伝説は・・・。
「司教オベールの夢枕に聖人ミカエルが2度立ち、自分を祀る聖堂を創るよう命じました。オベール司教はただの夢と思って動じませんでした。怒ったミカエルは、3度目、オベール司教の頭に人差し指を突っ込みグリグリと脳をかき回しました。オベール司教が翌朝起きてみると頭に穴が!また、ミカエルが夢元で話した通りのことが色々起こっていたとか。これは大変と早速聖堂をつくる準備をすると不思議なことが沢山起こり始めたのだそうです。」
この伝説が表現されている彫刻がこちら。

教会までの大階段。頭上の橋は侵入者を狙い撃ちするものだとか。


こちらが鐘塔の上に立つ聖人ミカエル。
何と480キロの重さだとか。ヘリコプターで取り付けられたようです。


こちらは教会内部。ロマネスク様式とゴシック様式の違いを見ることが出来ます。ロマネスク様式は壁が厚く天井は重さを軽減するために木材が使われています(この部分は11~12世紀に建てられました)。

ゴシック様式の壁がそのまま天井を支える技術のお陰で、高さを出すことが可能になったとか(この部分は1523年完成)。
教会を出ると美しい回廊が広がります。かつては修道士の祈りと瞑想の場だったようです。
柱は2重ですが、ジグザグに置かれています。こうすることによって瞑想に集中できる明るさと視野が保たれるようになっているとか。




こちらは食堂。声がよく響く構造になっていました。修道士たちはお経を聞きながら沈黙のうちに食事をしなくてはいけなかったそうです。そこで生まれたのが手話。手話の起源は修道士にあるのだそうです。

こちらは騎士の間。修道士の生活の空間の中で唯一暖房があったところだそうです。こちらで写本などを行っていたとか。
出口で鐘塔の上についているミカエルのレプリカがお見送りをしてくれました。




モンサンミッシェルはオムレツが有名です。特に1888年創業のオーベルジュのメール・プラール(プラールお母さん)のものはオムレツのみならず様々な製品のブランドです。このメール・プラールのオムレツは最近東京でも食べることが出来るようになったとか。


今回メール・プラールのオムレツは食べることが出来ませんでしたが、その代わりメール・プラールの塩バターキャラメルのアイスクリームを頂きました!バターの風味が濃厚で美味しかったです!!













モンサンミッシェル島の中にも大統領選挙のポスターが貼ってありました。ボロボロです・・・。
本日のランチは対岸で。

こちらが名物のオムレツ。これは4人分です。卵8個分だとか。モンサンミッシェルのオムレツはスフレタイプ。白身と黄身を分け、白身をかたくなるまで泡立てたところに黄身を入れ、たっぷりの有塩バターで焼きあげます。
普通のオムレツと思って食べると不思議な食感です。もう一度是非食べたいとは思いませんが、一度は食べてみる価値有りです。
デザートはアップルタルト。

すばらしいガイドさんの説明のお陰で充実のモンサンミッシェルでした。

2012年5月5日土曜日

夜のモンサンミッシェル (フランス旅行その4)

そしていよいよ本日の最終目的地であり、今回の旅行のハイライトでもあるモンサンミッシェルに到着!まずは宿泊するオーベルジュにチェックイン。すぐ目の前に見えるのはあこがれのモンサンミッシェルです。

ここで有名なのはオムレツとプレ・サレと言われる子羊。モンサンミッシェルを含むプレ・サレ地方は低湿地帯で、海の塩分に強い草が育っています。そんな草を食べて育った羊がプレ・サレ。独特の塩の風味があるのだとか。宿泊したオーベルジュでも出していたようですが、ツアーに参加した私たちは食べることが出来ず・・・。大ショック。

出てきたものはお野菜のテリーヌ

ヒラメのムース

りんご入りパンプディングもどき
でした。ちょっとボケたお味でしたが、とてもヘルシー。日本人のツアー客に合わせて考えてくれたものと思われます。隣のテーブルではフランス人のご一行様が牡蠣や蟹を美味しそうに食べており、少し同情されました(笑)。

気を取り直し、いよいよツアーは夜のモンサンミッシェルへ。
ライトアップが幻想的な雰囲気を醸し出してくれます。本当に来て良かった!もう言葉はありません。



シュノンソー城 (フランス旅行その3)

次に立ち寄ったのはシュノンソー城(1430年)です。美しい新緑のアーケードをくぐると、

おとぎ話に出てきそうな美しいお城が。


ちょうどお庭にも沢山花が咲いており、澄んだ空気をいっぱいに吸いながらしばし散策。





お城の中を入るとすぐに礼拝堂があります。
ここシュノンソー城は歴史に名を残した城主が女性であったことから「6人の貴婦人の城」とも言われています。
当時の床の色が残っている部分も何箇所かありました。ここを遠い昔も誰かが歩いていたと思うと不思議な気持ちになります。













こちらは5人の王妃の寝室にあるルーベンスの絵画です。
ここは第一次世界大戦中病棟として使われていたようです。


高貴な気分に浸った素敵な午後でした。

シャンボール城 (フランス旅行その2)

車窓からは満開の菜の花を楽しむことが出来ました。こちらでは菜の花は食用油用に育てられています。
次の目的地はシャンボール城。ロワールの古城の中でも最大規模を誇るシャンボールは、フランソワ1世の狩猟用のお城として建てられました(1547年完成)。当時の貴族は狩猟で体を鍛えていたとか。
イタリアルネッサンス様式のため、寒いフランスの気候には不向きで、フランソワ1世は合わせて7週間程度しか住まなかったようです。

シャンボールには何と部屋が404もあります。ベッドはこんなに小さいものです。当時の人は、まっすぐに寝ることは死を連想させるため、クッションなどを使ってくの字型に寝ていたそうです。

広大な敷地です。


お城のあちらこちらにフランソワ1世の頭文字のFとフランソワ1世の紋章であるサラマンダーと王冠が刻まれています。

このお城の建設にはレオナルド・ダ・ヴィンチが関わったとされています。こちらの2重螺旋階段はダ・ヴィンチの設計と言われており特に有名です。2つの階段を使うとお互いに顔を合わせることなく上り下りすることが出来ます。

シャルトル大聖堂 (フランス旅行その1)

新緑の美しいフランス、今回は世界遺産を巡るツアーに参加してきました。最初の目的地はシャルトル大聖堂。シャルトルはパリの南西80キロの所にあります。大聖堂は海抜400メートルの丘の上に堂々とそびえ立っています。シャルトル大聖堂は何度か火事に遭っており、その度に部分的な再建が行われているので、色々な時代のキリスト教美術を楽しむことが出来るちょっとした博物館のような感じです。
鐘楼は左右が異なっていています。北塔(1513年完成)は115メートル、南塔(1160年完成)は105メートル。
この大聖堂には聖母マリアがキリストを生んだ時に着ていたとされる衣が聖遺物として所蔵されていて、聖母マリア信仰の巡礼地となっています。


こちらは西側入り口に3つある扉口の一つ。中央にあるものです。キリストの再臨の彫刻。
シャルトル大聖堂はシャルトルブルーとも言われる美しい青の輝きを放つステンドグラスが有名です。こちらは大聖堂の中でも最も古い12世紀のもの(西側)。キリストの誕生、生涯、受難が描かれています。
聖堂の中に入って 右手(南側)にあるステンドグラスは新約聖書の世界が描かれています。バラ窓も大変美しいです。
左手は(北側)は旧約聖書の世界。












まだまだ修復工事が続いており残念ながら「美しき絵ガラスの聖母」の部分は見ることが出来ませんでしたが、黒いマリア像を拝見。


こちらは革命で頭が壊されてしまいました。
大聖堂は入り口から奥に向ってすこしだけ傾斜がかかっています。これは巡礼で人の出入りが多いため、掃除がしやすい構造にしているからだとか。入り口近くの床には迷路も描かれていました。シャルトルの床に描かれている迷路は世界でも最大級の大きさなのだとか。

話を聞けば聞くほど関心が高まる聖地シャルトルでした。