2010年12月26日日曜日

チュニジア旅行(最終日)

最終日午前中は市内散策。
ユネスコの世界遺産に登録されている旧市街。












(お菓子屋さん)

フランス門。


教会。


官公庁街。













今回3泊4日の駆け足でしたが、チュニジアを大満喫出来た良い旅でした。チュニジア人はとてもフレンドリーで、いかにも「外国人」の私たちを見るとかなりの確率で声をかけてくれます。10分歩くと3度くらいはお声がかかってくるので、気分はちょっとしたアイドル。でも必ずと言ってよいほど「ニイハオ」。その度に「こんにちは」と言いなおします。青年男性のグループにも声をかけられたので「こんにちは」とお返事すると「きゃ~~~。ヤッダ~~~。」との不思議な反応が・・・。いつも日本人の女性から言われているのでしょうか??

チュニジアでは一日2回はミントティーを楽しみました。緑のものと赤のものがあるのだそうですが、その違いは残念ながら最後までよく分からず・・・。松の実入りは特に美味しかったです!さわやかさと程よい甘さがたまりません。










(シディ・ブ・サイドのランドマーク、カフェ・デ・ナット)
そして、チュニジアは何処に行っても大統領の写真が飾られています。ガイドさんの口癖も「大統領!大統領!」。でも飾られている写真はどれもかなり昔のものだとか・・・。私たちがいつも写真を目にした2代目のザイン・アル=アビディーン・ベン=アリー大統領は、1987年以降大統領の地位に就いています。治安がよく、何処に行っても警察官(通称「さそり」)のパトロールに遭遇するのも大統領の政策のお陰とか。

2010年12月25日土曜日

チュニジア旅行(3日目)

チュニジア旅行は本日がクライマックス。チュニスから少し遠出して2つの遺跡を見学に行きます。美しい丘(オリーブ、梨、ぶどう、さやえんどう等が植えられています)が両手に広がる道を愛すべきガイド、アザビさんの面白おかしい説明を聞きながら車で移動すること2時間半(チュニスから150キロ)、着いたのはブラ・レジア(Bulla Regia)の遺跡。ここの起源は紀元前4世紀ブラの泉を中心に建てられた小さな町。ローマに併合される前は、騎兵隊で名高いヌミディア王国(そう言えば世界史で聞いたような・・・)の首都だったのだそうです。

ここは世界でも珍しい地下の住居跡を見ることが出来る遺跡群。夏の暑い間は日差しを避けるため、人々は地下に住んでいたとか。それぞれの建物は地下で発見されたモザイクからその名がつけられています(狩猟の家とか孔雀の家とか)。地上の建物はほとんどが大地震で崩壊してしまったそうです。













左の写真はオリーブ油を抽出していた石臼。右は当時のトイレです。もちろん下水もありました。












地下に残ったモザイクの一部。

こちらは保存状態がすばらしいアンフィトリテの家のモザイクです。左のモザイクはポセイドンとアンフィトリテの息子トリトン。右のモザイクがアンフィトリテです。チュニジアは土地が肥沃で、ローマ時代の穀物庫でした。当時のお金持ちの方々の贅沢な暮しが窺えます。














劇場です。











ブラ・レシアから車で山道をくねくねと上ること1時間、お昼はホテルThuggaで何とイノシシ料理を頂きます。チュニジアはイスラム国家なのですが、なぜかここはイノシシが有名。畑のいたずらをするイノシシ退治と観光客相手の町おこしの一石二鳥?(真相はよく知りません・・・)














ホテルThuggaからさらに山道を上りたどり着いたのが今回のツアーのハイライト、ドゥッガ遺跡(Dougga:チュニスから106キロ)。ユネスコの世界遺産にも登録されています。入ってすぐ目に入るのは3,500人を収容することが出来る劇場。音響もすばらしく、誰もいないことを良いことにちょっとしたショーを開催してしまいました・・・。










凱旋門とカエレティス神殿。カエレティス神殿は222年に女神たちを祀ったとされる神聖な所です。










心を奪われたのはキャピトル。ここではユピテル、ユノー、ミネルヴァの三神が祀られています。ユノーやミネルヴァの美しいイメージそのものです。8メートルの柱廊玄関を支える6本の柱はコリント円柱です。













風が強く本当に寒い日でしたが、太陽と青空に感謝です。
チュニジア最後の夜のディナーは現地在住日本人お勧めのダル・エル・ジェンド(我らの愛するアザビさんは美味しいけれど高い!と言っていました)。一見レストランとは思えない店構え。
邸宅を改装したレストランで、中はゴージャスです。人気のレストランのようで、満席でした。




前菜はシーフードのサラダとタジン。タジンは今回食べたチュニジア料理の中の最優秀賞!ミートローフと茶碗蒸しの中間のイメージです。研究して我が家のメニューにも加えたい感激の一品でした。











左は羊肉のクスクス。右はカブカブと言う魚と野菜の煮込み料理です。塩漬けレモンが良いアクセントになっていました。











デザートと松の実入りのミントティーです。











今日も美味しく大満足!

2010年12月24日金曜日

チュニジア旅行(2日目)

チュニジア観光初日。チュニスとカルタゴを回る今日のスケジュールは見どころが本当に沢山。感激の嵐です。

カルタゴはフェニキア語のカルト・ハダシュト(新しい町)が起源だそうです。

まずは、トフェ(タニト神の聖域)へ。カルタゴにはローマ時代の遺跡が多く残っていますが、トフェは数少ない古代カルタゴ時代の遺跡です。ここトフェはタニト神(写真中央:天と豊穣の女神。カルタゴの守護神。ローマ時代はユーノー・カエレティスとその名を変え、信仰は強く残ったそうです。)などが祀られていた場所で、多くの炭化した幼児の骨が入った骨壷が出土しており、当時子どもが生け贄にされていたのではないかと言われています(写真右:子どもの首をはねるのに使われたと言われている遺跡)。「トフェ」は、幼児を火に投じる儀式が行われていたエルサレム近くの谷の名(聖書)で、1920年以降、ここカルタゴの聖域を呼ぶのに用いられているということです。

次に訪れたのは2世紀に五賢帝の一人、アントニヌス・ピウスによって建設されたアントニヌスの共同浴場。当時建物は2階建てで、更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プール、噴水、談話室、トイレなど100を超える部屋が2階部分に左右対称に配置されていたとか!!今日の健康ランドですね。すごい!浴場はローマ人の憩いの場であると共に様々な協議が行われる場でもあったそうです。

















小高いピュルサの丘からはカルタゴの町が一望できます。ここはポエニ時代、ローマ時代ともにカルタゴの中心地でした。当時、数階建ての住宅がこの付近に集まっていたようで、カルタゴ時代の住居跡とローマ時代のフォーラム等を見ることが出来ます。

ローマ時代に作られたラ・マルガ貯水場。

次に訪れたのはチュニジアで一番美しい街と言われいるシディ・ブ・サイド。飛行機でたまたま隣に座ったチュニジア人ビジネスマンもここには是非行った方が良いと勧めてくれた街です。地中海を臨む景色とチュニジアンブルーと白の街並みがそれはそれはすばらしい街でした。




観光客が多く訪れるためかわいいお土産屋さんもたくさん並んでいます。














ドアには様々な幾何学模様が施されていて一つ一つユニークです。






























そしてここでは愛地球博にも出店していた、とても陽気なドーナツ屋さんに出会いました!チュニジアでバンベローニと言われているこのドーナツ、外はサクサク中はモッチモチでとても美味しかったです。是非エストニアにも出店して頂きたい。













チュニジア一美しい街を後に数多くのモザイク画が展示されているバルドー美術館へ。

まるで絵画のように繊細なモザイク画が、これでもかと展示されています。モザイク画はチュニジア各地から集められたもので、多くは舗床モザイクと呼ばれるローマ時代の公共建設(大浴場)や私邸の床面を飾っていたということです。その細かさは近くから良く見てやっとモザイクだと気付かされるほど。上の写真は中でも最も有名な「オデッセイアとセイレーン」で、ドゥッガ遺跡から 持って来たものです。
あとで分かったことですが、ここバルドー博物館はモザイクを勉強する人のあこがれの場所なのだそうです。美しいモザイクの数々をこんなに一度に見たのは本当に初めての経験でした。









最後に旧市街メディナ(これも世界遺産!)の中を歩いて、盛りだくさんのツアーを終えました。










2日目の夜はガイドさんお勧めのシーフードレストラン、ロリエントへ行きました。


魚のスープ、ショルパ。ハリッサとトマト仕立てのスープです。


ロリエントサラダとチュニジア風春巻き(ドワ・ドゥ・ファトマ)。色々な食材が使われていてとてもヘルシー。

メインに海老のチュニジア風煮込みを頼んだつもりが、出てきたものは普通のグリル・・・。でも美味しかったです!

ホテルに戻ったらクリスマスケーキが届いていました。メリークリスマス!!